ゴン太の半生(中編)

ゴン太の半生、続き

さて、今回は昨日の続きをお話ししましょう。 高校入学から統合失調症の診断を受けるまでのところをお話ししましょう。

ゴン太と乾いた青春

ゴン太の高校生活は想像してものよりかは味気ないものでした。 ゴン太は内向的な性格で、友達を作るのが苦手だったからです。 これは言い訳ですが、1年生の頃は留学生ととばかり付き合って日本人の級友たちとはあまり付き合いがなかったのも一因であるように思います。 ラテン系の言語を話す彼ばかりと話をしていたため、日本人の友達はほとんどできませんでした。 そして2年生に上がる頃には留学生の彼も帰国していきました。 そうするとゴン太は学校にほとんど友達がいなく、どうにも居心地の悪い感覚を覚え始めたのです。

どうにも学校に行くのが憂鬱だ。 なんだかやる気が出ない。 どんどん無気力になり不登校気味にもなったゴン太でしたが、受験によるストレスだろうと軽く流されました。

ゴン太と初期の鬱症状

こうした鬱のような症状が現れ始めていましたが、そう大したことでもないだろうと高をくくると大学入試に備えました。 成績は特別良い方ではなかったのですが、ラテン系に近い英語だけは大得意であった。 やる気の出ない頭をなんとか動かして勉学に励みました。

しかし、結論から言うとゴン太は浪人をすることになりました。 第2志望などには合格していましたが、将来の夢というものがなかったゴン太はなんとなく偏差値の高い大学を狙っていました。 偏差値が高ければ就職も楽になるだろう。 そんな安易な気持ちから浪人という道を選ぶことにしたのです。

この頃からゴン太ははっきりとしたうつ症状を感じていました。 何をするにもやる気が出ず、浪人中の予備校をこっそりと休むことも頻繁にありました。 当然成績が上がるということもなく、1浪した結果ゴン太は前年に受かっていた大学に進学する事にしたのでした。

ゴン太と大学生活

外国人でありながら、更に日本の義務教育を受ける事もなく大学に進学出来たことで周囲の人々には大いにおだてられました。 しかし、予備校の無断欠席という後ろ暗い過去のあるゴン太は素直に喜ぶことができませんでした。 この頃から自分に嘘を言い聞かせるのが癖になり始めたのです。

それでも入学直後はテンションも上がり、詰め込めるギリギリまで講義を取りサークルもいくつか掛け持ちしました。 楽しい日々ではありましたがうつ症状が激しくなり始めたのもこの頃です。

上手く呼吸ができず、酸欠のような状態になることもありました。 頭痛がひどくいつも頭を抱えるような状態にもなりました。 腹痛は激しく、時には嘔吐が止まらなくなることもありました。 耳鳴りは煩わしく、幻覚や幻聴もしょっちゅう感じられるようになりました。

1年目の後半から既に無断欠席を繰り返すようになり、結局取得できた単位は目標の半分以下。 どうにかできないかと思案し、親に打ち明けようとも思いました。 しかしちょうどその頃祖父が他界し、親にこれ以上心労をかけたくないと言い訳をして大学のことを隠し通すことにしました。

ゴン太と仮面生活

大学には何度も講義を受けに行きましたが、講義室の前に立つと体の震えが止まらなくなり、腹痛と嘔吐感が止まらなくなりました。

なんとか堪えて講義に出ても体調が悪くなり途中で退席してしまいました。 体調不良を無視して講義に臨み、退席してトイレで嘔吐する。 そんなことを何度も繰り返すうちにゴン太は次第に講義に出ようと試みる事も諦めてしまいました。

この頃のゴン太は交通の便が極端に悪い場所に住んでおり、親が仕事に行くついでに大学まで送り迎えしてもらっていました。 そこでゴン太は健康のためと偽って自転車通学に切り替えました。 不規則な時間に起き出して自転車に乗って大学に向かい、空き教室や図書館、時にはトイレに篭って時間を潰すようになりました。

十分に時間をつぶすとまた自転車に乗って家に帰り、行ってもいない講義の話をして親を騙す。 講義の時間割も嘘のものをでっち上げ、その時間帯には大学にいたかのように偽装しました。

ゴン太と衝動的行動

嘘に嘘を積み重ねて行くうちにゴン太の罪悪感は徐々に麻痺して行きました。 自分自身にまで嘘をついて、ついには自分でも嘘かどうかが分からなくなって行きました。

そうして自分を騙している間にもストレスを感じていることに違いはありませんでした。 この頃からゴン太は衝動的な行動を取るようになり始めました。

最初は食欲が抑えられなくなりました。 より正確にいうと甘味が食べたい、口が寂しいのを慰めたいといった衝動でした。 バイトで稼いだお金を使いながらチョコレートを買いだめて部屋に隠し、夜中になるとそれをこっそりと食べる。 毎晩1枚から2枚の板チョコを食べる生活を続けました。 当然血糖値は激増し、祖父母の代からの遺伝病である糖尿病を20代にして患いました。

この他にも買い物依存症のような状態になり、散財をしないと落ち着かないようになっていました。 大学入学と同時に作ったクレジットカードをリボ払いに変更すると、それを湯水のごとく使い始めました。

最初はバイト代も尽き掛けていたので食料品を買い漁り、次に通販で物品を買い始めました。 通販で買い物をしすぎると親に怪しまれるため、最後にはアプリなどのネット上のサービスやコンテンツに課金し始めました。

すぐに限度額に達しましたが、ゴン太は購買衝動が抑えきれませんでした。 限度額に達すると別のカードを作ってまた散財する。 これを2回繰り返し、ゴン太の借金はとうとう50万円を超えるほどになりました。

ゴン太と年貢の納め時

ゴン太は長いこと同じ場所でアルバイトをしていました。 そこの時給は良かったのですが勤務時間が不規則かつ短時間のものでした。

リボ払いの支払いに首が回らなくなったゴン太はとうとう親友にまでお金を無心するようになっていました。 落ちぶれるところまで落ちぶれたゴン太はストレスでますます激しい症状に悩まされるようになっていました。

母はなんとなくそれを察していたようで、ある日親に呼び出されて問いかけられました。

“私たちに隠していることはないか?”

実はこの質問はもう何度も繰り返されたものでした。 ゴン太は自分に嘘をつくうちにこの質問を自然と否定するようになっていました。

しかし、もう精神的に追い詰められていたゴン太はようやく大学に行っていないことを親に打ち明けることにしました。 もう全部白状すればいいものを、ゴン太は大学を無断欠席していることだけを話しました。

もちろんそれでも親は激怒しました。 自分たちに隠し事をし、授業料を無駄に払っていたことに関して親は深く嘆きました。 親としては当然の感情でしたが、ゴン太はそれが恐ろしくてたまりませんでした。 勘当されるかもしれないと泣いたりもしました。

しかし親はどうしようもなく優しくて、もう二度とこんなことはしないようにと言って終わりにしてくれました。 そこまでは良かったのですが、親はゴン太の精神疾患については懐疑的でした。

ゴン太とメンタルクリニック

結論から言うと、ゴン太はただの怠け者だと親に思われるようになりました。

以前にも精神科にかかったことのあったゴン太は納得がいかず、自分で精神科の医院を探して予約を取って手当たり次第に診察を受けることにしました。

いくつかの医院を周り、結局は近場の大病院に通うことに決めました。 残念ながらそこのお医者様とは全くそりが合いませんでした。 ゴン太の言い分になりますが、そこのお医者様はとてもぶっきらぼうな方で何かにつけては詰るような話し方をする方でした。 とてもではないがそこで診察を続けていくのは苦痛で仕方がないと思いました。

そうしてゴン太はそのお医者様に紹介状を書いて頂き、少し遠いものの感じの良かったお医者様のいらっしゃる医院に通うことにしました。 そこのお医者様はとても丁寧に話を聞いてくださり、悩みを相談しながら診て頂きました。

そうして半年が経つと、お医者様に病名の診断がなされました。

統合失調症

その診断を出すとすぐにお医者様は言いました。 自立支援医療制度を利用してはどうかと。 この制度の詳細についてはまた今度にしますが、とにかく医療費が全額免除となることを知ったゴン太はすぐにこれを申請しました。

親からの理解は依然得られませんでしたが、なんとか制度の利用については受け入れてもらえました。

今日はここまで

長々と書き連ねましたが、ゴン太の半生についての話はもう少し続きそうです。 今回は一旦ここで終わりして、続きはまた明日にしましょう。

最後に

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございます。 あと1回か2回の投稿が終われば統合失調症との付き合い方についての話ができるかと思います。

今後もお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。