続・精神疾患の治療を助ける制度について
さて、今回は昨日の続きで精神疾患を患った人の利用できる制度について話していきましょう。
精神障害者医療費助成制度について
要件は市町村によって異なりますが、これも公費による医療費助成制度の一つです。 これも経済的に大きな助けとなるものですので、これもよく知っておくと良いでしょう。
助成制度を利用する
前回紹介した自立支援医療制度を利用する際に交付される自立支援医療受給者証(精神通院)。 これを持っていると、この制度を利用することができます。
精神障害者保健福祉手帳の1・2級を持っているかどうかで少し変わって来ますが、ここでは持っていない場合について見ていきます。
制度の内容について
この制度の助成内容についてですが、これは自立支援医療の申請時に指定した医療機関を受診した時の自己負担額を全額、もしくはそれに近しい程の額を助成すると言うものです。
以前紹介した自立支援医療では自己負担額が3割から1割に軽減されると言いましたが、この助成制度を利用すると全額免除となる場合もあるというわけです。
申請方法
基本的には自立支援医療の申請と同時に担当医に勧められる場合がほとんどです。
自立支援医療受給者証を受け取ると同時にこの助成制度の申請も行うことになるでしょう。 この二つの制度を同時に申請しておく場合もあるようです。
申請時の注意点
注意点として、この制度を利用する際に別の公費負担医療を受けている場合にはこの制度の対象外となる場合があると言う点です。
具体的に言うと子ども医療制度、心身障害者医療制度、母子・父子家庭医療助成制度などです。 既に医療費助成を受けているためこちらの制度が利用できない場合もあるため注意が必要です。
他にも所得制限などが課されている場合もあります。 一定所得以上、つまりご自身の属する世帯にかかる市町村民税がある一定額を超える場合には助成制度が利用できないと言うこともあり得ます。 これは県や市町村によって変わるので、ご自身の住んでいる市町村の担当課に問い合わせるのが最善でしょう。
実際の利用方法
これも県や市町村によって異なりますが、必要となるのは基本的には以下の三つになります。
この3つを診察前の受付で提示しておけば支払い時の負担額が即時に減免されます。 ただし、申請を行った県以外で制度を利用する場合には注意が必要です。
自立支援医療の指定機関を県外にした場合、まずは上記のうち健康保険証と自立支援医療受給者証を提示します。 そして受診を終えると、いったん保険診療分の自己負担額を支払う必要があります。 そして後日、払い戻しの申請を行うことになります。
医療機関を選ぶにあたって
払い戻し申請が面倒なので住んでいる県の医療機関に掛かるのが一番楽ですが、心療内科などでは医師との相性が特に重要です。
近場だからといって医療機関を選んでも、医師との相性が良くなければ病気の治癒は遠のくばかりです。 少し遠出をすることになってでも自分の気にいる医療機関を探すことが大切です。
最後に
以前の記事と比べて少し短めですが、今回はこの辺で終わりにしましょう。 大まかですが、精神疾患を患った際の助成制度の説明ははこのくらいです。 次回は精神障害者保健福祉手帳の取得についても見ていきましょう。
それではまた。
精神疾患の治療を助ける制度について
ゴン太の半生については昨日の記事でだいたい終わりです。 今回はゴン太の利用している自立支援医療制度についてお話ししましょう。
自立支援医療制度について
まず自立支援医療とは何かというと、心と体の障害を除去、もしくは軽減するための医療について患者さんの負担を減らす公費負担医療制度です。
要するに医療費の負担額を3割よりさらに少なくする制度です。 対象は精神通院医療、更生医療、育成医療の3種類です。
ゴン太は精神疾患についてしか利用したことがないので、他の二つについては割愛させていただきます。
精神通院医療
ゴン太のような精神疾患を抱えていて、その症状が「重度かつ継続」と判断された人はこの制度を利用することができます。
この場合の通院医療というのは入院をすることなく、投薬や診察による改善を目指す医療のことを指します。
医療費の軽減
ゴン太は以前にも言ったように統合失調症を患っています。 この制度は気分障害(うつ病や躁うつ病など)や統合失調症、てんかんなどの精神疾患も対象としていますので、ゴン太もこれを利用させてもらっています。
この医療負担額の軽減は通常1割ですが、所得額によって上限額が設けられます。 これによって対象者の世帯への負担を軽減するわけです。
制度申請まで
まずは都道府県、もしくは政令指定都市に指定された「指定自立支援医療機関」を探す必要があります。 これは病院、診察所、薬局、訪問看護ステーションなどがありますが、ゴン太のような精神疾患を患っている場合は病院か診察所で診断を受ける必要があります。
そして医師が診断書を書いて自立支援医療の申請が始まります。 この申請には「指定自立支援医療機関」を一つ選ぶ必要があります。 正確には病院・診察所1箇所、調剤薬局1箇所、デイサービス1箇所と言った具合にお世話になる機関を指定します。
こうする事で、その医療機関に限って負担額が軽減されるというわけです。 例外もありますが、基本的にはそれらの医療機関で支援を受けることになります。
実際の利用方法
この申請が受諾されると、今度は自立支援医療受給者証を交付されます。 これを先に指定した医療機関で提示することによって自己負担額が軽減されます。
これとは別に市町村ごとに医療費助成制度があるはずですので、これらと併用することによって負担が大きく軽減、あるいは免除されます。
最終的には自立支援医療受給者証と医療費受給者証、そして健康保険証の3つを受付に提示する事になるはずです。
負担の軽減
統合失調症のような「重度かつ継続」な疾患は医療費が高額で、しかも長期間の医療が必要となります。 たとえ3割負担であっても家計への負担は大きくなりがちです。 継続的な医療を安心して受けるためにはこう言った制度を利用することが大事です。
心の病について
言うまでもありませんが、心の病も病気には違いありません。 身体的なものではありませんがれっきとした障害でもあります。 障害の除去・軽減には継続的な医療が必要ですので、遠慮することなど何もありません。
精神的な問題に税金を使うことに抵抗のある方をお見受けすることもありますが、それは認識が大きくズレていると思います。 心の病を甘く見てはいけません。 そういった疾患を気合いで治そうと言うのは足が骨折した状態で走ろうとする事とそう変わりません。
心の病は目には見えませんがとても重大な病気です。 自分の頑張りが足りなから…などと考えたりせず、心の病に心当たりがあれば迷わず心療内科や精神科を探しましょう。
最後に
長くなりましたが今回はここまでです。 次回は市町村レベルの医療費助成制度について見ていきましょう。
それではまた。
ゴン太の半生(後編)
続きの続き
今回でゴン太の半生についての話は終わらせましょう。 統合失調症の診断を受けてから現在までを話しましょう。
ゴン太と統合失調症
ゴン太が統合失調症の診断を受ける頃には日常生活を送ることも難しくなっていました。 以前から感じていた症状はますます激しくなっていました。 頭痛、腹痛、下痢、嘔吐感は一日中続き、特に呼吸困難は恐ろしく厄介でした。 呼吸はできているのに本当に空気が足りていないかのように感じられ、酸素不足による目眩や失神なども起こしていました。
立っているのも辛くなり、当然バイトなど続けようもありませんでした。 現在通っている医院の先生に診断書を書いてもらいバイト先に提出、なんやかんやあってバイトを辞めることにしました。
お薬を飲み始めて症状は徐々に回復してきましたが、それとは別に親がスピリチュアルな方面に熱心なため、色々な祈祷師や霊媒師などの元へと連れていかれました。 正直なところ、そういった話には辟易していましたが善意からの行為だとは理解していたので断り辛かったのです。
更に今度はバイトを辞めた事で借金で首が回らなくなって行きました。 親友にお金を無心し、短期バイトを探してなんとかやりくり。 自業自得とはいえかなりのストレスを感じていました。 にもかかわらず、もしくはだからこそ、浪費癖がますます悪化して行きました。
リボ払いでも月々の支払いが滞るようになり、とうとう借金の件も露呈。 またしても親を怒らせ、そして深く悲しませました。
ゴン太と手帳
この頃にはゴン太も自分が買い物依存症であることをはっきりと自覚し、なんとか抑えようとはしましたがどうにも歯止めがかかりませんでした。
カードは親に預けてすぐに解約、借金も肩代わりしてもらいました。 かなり深刻な状態にあると判断した医院の先生は、ゴン太に手帳の取得を勧めました。
これを取得すれば色々な面で家計を助けられるのではないかと考えたゴン太はこれを取得しようとしました。 親にその話をすると、ゴン太はこう言われました。
“君は精神障害者なんかじゃない” “それは必要な人のためにあって、君には必要のないものだ” “そんなものを持っていたら障害者として後ろ指を刺されるぞ”
正直に言うと、ゴン太は随分前から精神面での病気の理解を親に求めることを諦めていました。 何かがあれば霊に取り憑かれているだの、気合いが足りていないだの、とにかくゴン太の求める理解からは程遠い言葉しかもらえませんでした。
日本語に堪能ではない両親ですが、何回か診察に付き添ってもらって通訳をして先生に説明をしてもらったり、父の友人に通訳を頼んでみたりと手は尽くしました。 それでも親は病気のことを認めるつもりはありませんでした。
今回もどうしようもないのだろうかと考えていると、意外なところから救いの手が差し伸べられました。 妹が擁護してくれたのです。
家族全員で席に着き大いに議論しました。 病気だと認めたくない親と、ただの怠け者ではないと認めて欲しいゴン太と妹。 言葉を尽くして説得すると、なんとか申請の許可は得られました。 しかし病気について理解を得られたとは言い難い状態は変わりませんでした。
金銭面でのメリットを説明してようやく許可が得られたのですから当然です。 それでもなんとか心の病であると公認を得たゴン太はほんの少しホッとしました。 少なくとも親の言うような精神論的な問題ではないと認められたような気がしたからです。
ゴン太とブラジル旅行
その後しばらく経ち、ゴン太たち一家はブラジルへと旅行に行くことにしました。 ゴン太たちは以前から5年に一度くらいの頻度でブラジルに旅行に行っていました。 帰国ではなく旅行です。 ゴン太の母国に対する認識がはっきりとわかりますね。
ブラジルでも祈祷師や霊媒師、知り合いの霊能力者やアフリカ系の呪術師のもとにも通いました。 意外に思うかもしれませんが、ゴン太は霊的な存在を信じていないわけではありません。 信心はあります、ただし信仰心はありません。
ゴン太は霊的な存在を信じていてもそれを頼りにすることには抵抗がありました。 病気は医者で直すのが道理だと考えていたからです。 それは今でも変わってはいません。 医療が根本にあって、その精神的な補助としてそういったものを頼ると言うのがゴン太のスタンスです。
ゴン太とメンタルヘルス
とにかくゴン太はブラジルで精神科医を探すことにしました。 日本語がわからない両親は医者が騙そうとしているように感じていると知っていたので、ポルトガル語を話す医者に頼れば納得してもらえるのではないだろうかと考えたからです。
じつはこれにも大変難儀しました。 なにせ親がその話をするのを許してくれなかったからです。 親しい親族にも精神的な問題を抱えている人がいて、その人に医師を紹介してもらおうとしましたが親はなかなか頭を縦に振りませんでした。
どうにかして親を説得し、伯母にだけは打ち明けることを許してくれました。 日本で感じていたこと、親について思うこと、病気についてどう向き合うかなど、とにかく伯母には全てを話しました。
すると伯母はゴン太にある医師を紹介してくれました。 伯母の主治医にあたる先生で、紹介された人しか診ないという先生だと言う話でした。 とにかくポルトガル語を話せる医師なら誰でもいいと思っていたゴン太はその話に飛びつきました。
そしてそれがゴン太の人生の分岐点となったのです。
ゴン太と親の和解
この先生との出会いが回復への手掛かりとなったことは間違いありません。 日本の先生が大変な努力をしてゴン太の精神を持ち直させたのは確かですが、心の病に胡座をかこうとしていたゴン太を立ち直らせたのは間違いなくこの先生です。
先生は精神分析が専門で、カウンセリングのみを行う医師でした。 薬については友人の精神内科医と連携して役割分担を行なっているそうです。
もう何度目になるかも分からない症状についての説明をし、お薬の説明書などを訳して見せて。 そうして先生に判断を仰ぎました。 先生は話を聞いて統合失調症の疑いが強いと考え、同席していた両親にこれを根気強く説明してもらいました。
そうして統合失調症の診断から2年あまりが経ち、ようやく親に心の病について理解してもらうことができたのです。
ゴン太とメンター
ゴン太はこの先生のことをメンターと呼んでいます。 日本語で言うと指導者、助言者、恩師などと言う意味ですね。
とにかくこの先生は頭の回転が早く知識も豊富でした。 さすがは精神分析の専門家ということもあり、ゴン太が言いたい事はなんでも素早く理解してもらえました。 コミュ障で、なおかつ吃音症のゴン太にとってこれほど心強いものはありませんでした。
先生の診察費は高かったですが、例の伯母が裕福で甥のためならと費用を負担してくれました。 伯母には足を向けて眠れません。 とにかく週に一度のペースで先生の元へと通い、ゴン太の症状はどんどんと良くなって行きました。 精神分析の結果、子供の頃の記憶が現在の症状と関連していると考えた先生は、具体的な症状への対処法を考えてくれました。
その方法などについてはのちの記事で書くことにしますが、とにかくそれは良く効きました。 ブラジルの風土も肌に合ったのか、ゴン太は以前からは考えられないほどに回復して行きました。
ゴン太の帰国
そうこうしているうちに日本に帰る時期がきました。 身内の不幸などもあり2回も延期しましたが、5ヶ月程度の滞在の後日本へと帰りました。
ブラジルから帰った後もしばらくの間は元気で復学も視野に入れていたのですが、残念ながらまた気分が落ち込んで行きました。
ゴン太の統合失調症は躁鬱のようなものも含まれていて、ひたすら元気な時ととにかく落ち込んでいる時期が波のように繰り返されていました。
ブラジルから帰国後は以前のアルバイトにも復帰したのですが、残念ながら健康上の問題でまたやめることになってしまいました。 ここでも一悶着あるのですがこれもまた今度にしましょう。
ゴン太と苦痛の再来
この頃になるとまた以前の症状が激しくなり始め、寝たきりの状態が続きました。 親からの理解が得られたとはいえ、やはりまだ認識の相違があることは否めませんでした。
もっと頑張れという精神論的な励まし方をする親にイライラし、自分でも感情を抑えきれなくなったゴン太は自主入院を考え始めました。 親に相談したところこれに猛反発。 精神病棟には一度は行ったが最後、薬漬けになって二度と出られないという認識を持っていた親がそうなっても仕方がありませんでした。
日本の先生の説明もありなんとか誤解だけは解けましたが、もう少し経過を見るという方向で話が固まりました。
ゴン太のそれから
この頃、つまり最近ですが、大学を休学して3年半が経ちました。 休学期間の限界は4年。 退学が目の前に迫って、ゴン太の中の何かに火がつきました。
健全なる精神は健全なる身体に宿る
この言葉を思い出したゴン太はとにかく身体を動かすことにしました。 まずは行動して、そのあと考える。
引っ込み思案のゴン太にはあり得ないはずの発想でしたが、ブラジルで様々なことを学んだゴン太はとにかく行動することの大切さを知っていました。
とにかく毎日の運動と食事が健康を作る。 それを信じてゴン太は今、肉体改造に励んでいます。 毎朝6時に起きてラジヲ体操を行う。 バターコーヒーを飲んで身だしなみを整え、1時間かけて6kmと少しのウォーキング。 家に帰ればヨガを行い、2日に一回は筋トレ。 記録を取り、日記を書いて習慣化を目指しました。 夜の6時までに夕食を済ませ、入浴と読書。 夜の8時を過ぎれば目の疲れる行為は極力控え、瞑想を行なって眠りにつく。
半ニートだからこそできる生活ですが、この時期を最大限に活かして半年後の復学に備えるのがゴン太の目標です。
実はこの記事を書いている時点でこの生活習慣を取り入れて24日が経っています。 習慣化までの目処となる21日はもう過ぎました。 あとはどうやってこれを維持していくかです。
ゴン太のこれから
ゴン太は恥の多い人生を送ってきました。 悔やむことも数えきれないほどあります。 ですが、もう嘆くだけの状態には戻りません。
未来は誰にもわかりません。 過去は変えられませんが認識は変えられます。 そして現在は積み重ねていけます。
ゴン太はもう停滞した日々には戻りたくありません。 これからは前を向いて歩いていくために努力は惜しみません。
最後に
このブログにはゴン太の社会復帰までの過程を描いていく予定です。 どうかこのブログが誰かの目に留まり、そして誰かの励みになることを切に願います。
もし読んでいる方がいらっしゃれば、これからもよろしくお願いします。
ゴン太の半生(中編)
ゴン太の半生、続き
さて、今回は昨日の続きをお話ししましょう。 高校入学から統合失調症の診断を受けるまでのところをお話ししましょう。
ゴン太と乾いた青春
ゴン太の高校生活は想像してものよりかは味気ないものでした。 ゴン太は内向的な性格で、友達を作るのが苦手だったからです。 これは言い訳ですが、1年生の頃は留学生ととばかり付き合って日本人の級友たちとはあまり付き合いがなかったのも一因であるように思います。 ラテン系の言語を話す彼ばかりと話をしていたため、日本人の友達はほとんどできませんでした。 そして2年生に上がる頃には留学生の彼も帰国していきました。 そうするとゴン太は学校にほとんど友達がいなく、どうにも居心地の悪い感覚を覚え始めたのです。
どうにも学校に行くのが憂鬱だ。 なんだかやる気が出ない。 どんどん無気力になり不登校気味にもなったゴン太でしたが、受験によるストレスだろうと軽く流されました。
ゴン太と初期の鬱症状
こうした鬱のような症状が現れ始めていましたが、そう大したことでもないだろうと高をくくると大学入試に備えました。 成績は特別良い方ではなかったのですが、ラテン系に近い英語だけは大得意であった。 やる気の出ない頭をなんとか動かして勉学に励みました。
しかし、結論から言うとゴン太は浪人をすることになりました。 第2志望などには合格していましたが、将来の夢というものがなかったゴン太はなんとなく偏差値の高い大学を狙っていました。 偏差値が高ければ就職も楽になるだろう。 そんな安易な気持ちから浪人という道を選ぶことにしたのです。
この頃からゴン太ははっきりとしたうつ症状を感じていました。 何をするにもやる気が出ず、浪人中の予備校をこっそりと休むことも頻繁にありました。 当然成績が上がるということもなく、1浪した結果ゴン太は前年に受かっていた大学に進学する事にしたのでした。
ゴン太と大学生活
外国人でありながら、更に日本の義務教育を受ける事もなく大学に進学出来たことで周囲の人々には大いにおだてられました。 しかし、予備校の無断欠席という後ろ暗い過去のあるゴン太は素直に喜ぶことができませんでした。 この頃から自分に嘘を言い聞かせるのが癖になり始めたのです。
それでも入学直後はテンションも上がり、詰め込めるギリギリまで講義を取りサークルもいくつか掛け持ちしました。 楽しい日々ではありましたがうつ症状が激しくなり始めたのもこの頃です。
上手く呼吸ができず、酸欠のような状態になることもありました。 頭痛がひどくいつも頭を抱えるような状態にもなりました。 腹痛は激しく、時には嘔吐が止まらなくなることもありました。 耳鳴りは煩わしく、幻覚や幻聴もしょっちゅう感じられるようになりました。
1年目の後半から既に無断欠席を繰り返すようになり、結局取得できた単位は目標の半分以下。 どうにかできないかと思案し、親に打ち明けようとも思いました。 しかしちょうどその頃祖父が他界し、親にこれ以上心労をかけたくないと言い訳をして大学のことを隠し通すことにしました。
ゴン太と仮面生活
大学には何度も講義を受けに行きましたが、講義室の前に立つと体の震えが止まらなくなり、腹痛と嘔吐感が止まらなくなりました。
なんとか堪えて講義に出ても体調が悪くなり途中で退席してしまいました。 体調不良を無視して講義に臨み、退席してトイレで嘔吐する。 そんなことを何度も繰り返すうちにゴン太は次第に講義に出ようと試みる事も諦めてしまいました。
この頃のゴン太は交通の便が極端に悪い場所に住んでおり、親が仕事に行くついでに大学まで送り迎えしてもらっていました。 そこでゴン太は健康のためと偽って自転車通学に切り替えました。 不規則な時間に起き出して自転車に乗って大学に向かい、空き教室や図書館、時にはトイレに篭って時間を潰すようになりました。
十分に時間をつぶすとまた自転車に乗って家に帰り、行ってもいない講義の話をして親を騙す。 講義の時間割も嘘のものをでっち上げ、その時間帯には大学にいたかのように偽装しました。
ゴン太と衝動的行動
嘘に嘘を積み重ねて行くうちにゴン太の罪悪感は徐々に麻痺して行きました。 自分自身にまで嘘をついて、ついには自分でも嘘かどうかが分からなくなって行きました。
そうして自分を騙している間にもストレスを感じていることに違いはありませんでした。 この頃からゴン太は衝動的な行動を取るようになり始めました。
最初は食欲が抑えられなくなりました。 より正確にいうと甘味が食べたい、口が寂しいのを慰めたいといった衝動でした。 バイトで稼いだお金を使いながらチョコレートを買いだめて部屋に隠し、夜中になるとそれをこっそりと食べる。 毎晩1枚から2枚の板チョコを食べる生活を続けました。 当然血糖値は激増し、祖父母の代からの遺伝病である糖尿病を20代にして患いました。
この他にも買い物依存症のような状態になり、散財をしないと落ち着かないようになっていました。 大学入学と同時に作ったクレジットカードをリボ払いに変更すると、それを湯水のごとく使い始めました。
最初はバイト代も尽き掛けていたので食料品を買い漁り、次に通販で物品を買い始めました。 通販で買い物をしすぎると親に怪しまれるため、最後にはアプリなどのネット上のサービスやコンテンツに課金し始めました。
すぐに限度額に達しましたが、ゴン太は購買衝動が抑えきれませんでした。 限度額に達すると別のカードを作ってまた散財する。 これを2回繰り返し、ゴン太の借金はとうとう50万円を超えるほどになりました。
ゴン太と年貢の納め時
ゴン太は長いこと同じ場所でアルバイトをしていました。 そこの時給は良かったのですが勤務時間が不規則かつ短時間のものでした。
リボ払いの支払いに首が回らなくなったゴン太はとうとう親友にまでお金を無心するようになっていました。 落ちぶれるところまで落ちぶれたゴン太はストレスでますます激しい症状に悩まされるようになっていました。
母はなんとなくそれを察していたようで、ある日親に呼び出されて問いかけられました。
“私たちに隠していることはないか?”
実はこの質問はもう何度も繰り返されたものでした。 ゴン太は自分に嘘をつくうちにこの質問を自然と否定するようになっていました。
しかし、もう精神的に追い詰められていたゴン太はようやく大学に行っていないことを親に打ち明けることにしました。 もう全部白状すればいいものを、ゴン太は大学を無断欠席していることだけを話しました。
もちろんそれでも親は激怒しました。 自分たちに隠し事をし、授業料を無駄に払っていたことに関して親は深く嘆きました。 親としては当然の感情でしたが、ゴン太はそれが恐ろしくてたまりませんでした。 勘当されるかもしれないと泣いたりもしました。
しかし親はどうしようもなく優しくて、もう二度とこんなことはしないようにと言って終わりにしてくれました。 そこまでは良かったのですが、親はゴン太の精神疾患については懐疑的でした。
ゴン太とメンタルクリニック
結論から言うと、ゴン太はただの怠け者だと親に思われるようになりました。
以前にも精神科にかかったことのあったゴン太は納得がいかず、自分で精神科の医院を探して予約を取って手当たり次第に診察を受けることにしました。
いくつかの医院を周り、結局は近場の大病院に通うことに決めました。 残念ながらそこのお医者様とは全くそりが合いませんでした。 ゴン太の言い分になりますが、そこのお医者様はとてもぶっきらぼうな方で何かにつけては詰るような話し方をする方でした。 とてもではないがそこで診察を続けていくのは苦痛で仕方がないと思いました。
そうしてゴン太はそのお医者様に紹介状を書いて頂き、少し遠いものの感じの良かったお医者様のいらっしゃる医院に通うことにしました。 そこのお医者様はとても丁寧に話を聞いてくださり、悩みを相談しながら診て頂きました。
そうして半年が経つと、お医者様に病名の診断がなされました。
その診断を出すとすぐにお医者様は言いました。 自立支援医療制度を利用してはどうかと。 この制度の詳細についてはまた今度にしますが、とにかく医療費が全額免除となることを知ったゴン太はすぐにこれを申請しました。
親からの理解は依然得られませんでしたが、なんとか制度の利用については受け入れてもらえました。
今日はここまで
長々と書き連ねましたが、ゴン太の半生についての話はもう少し続きそうです。 今回は一旦ここで終わりして、続きはまた明日にしましょう。
最後に
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございます。 あと1回か2回の投稿が終われば統合失調症との付き合い方についての話ができるかと思います。
今後もお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
ゴン太の半生(前編)
今日は少しゴン太の半生についての話をしましょう。 随分と恥の多い半生です。 人に話す事も恥ずかしいものですが、これを話さないことには統合失調症についての話もできません。 覚悟を決めて話す事といたしましょう。
忙しい人のためのゴン太の半生
- ブラジルで生まれる
- 出稼ぎの親に付いて渡日する
- 保育園で日本語を学ぶ
- 中学2年生相当までブラジル人学校で過ごす
- 高校浪人、中学校卒業程度認定試験取得へ
- 灰色の高校生活
- 浪人、そして予備校の無断欠席
- 大学入学を果たすも親に隠れて欠席を繰り返す
- 勝手に欠席していたことがバレる
- 大学休学を開始
- 精神内科の受診について一悶着
- 統合失調症の診断を受ける
- 2年かけて両親から病気についての理解を得る
- 精神障害者保健福祉手帳を取得
- 休学期間残り半年、焦るゴン太 ←今ココ
忙しくない人のためのゴン太の半生
ゴン太の半生について語りたいところですが、長くなりそうなので分割することといたしましょう。 ブログが軌道に乗るまで100記事が必要となるらしいので、記事数の水増しにもなるでしょうし… 何はともあれ、ゴン太の生まれについてお話ししましょう。
ゴン太、誕生
ゴン太がどこで生まれたかというとブラジルのサンパウロ市、そこの東洋人街のすぐそばです。 ゴン太は祖父母の代にブラジルに渡り、そこで生活を始めた日系人の4世に当たります。 少年時代に取得した永住権を経て、最近は日本に帰化しました。 今やゴン太は元ブラジル人の現日本人という事です。
ゴン太、渡日
3歳まではブラジルで生活していました。 両方の祖父母が近くに住んでいたため、とても可愛がってもらったことはよく覚えています。 祖父たちは孫のゴン太にダダ甘で、家に来るたびに何かしらのお菓子を持って来ていました。 おかげで、今でも懐かしい味といえばブラジルの甘ったるい駄菓子の類です。
ゴン太、日本語を学ぶ
日本に来てすぐは日本語などという言語にはほとんど触れたことがなかったため、最初の頃は保育園に行くのが嫌で仕方がありませんでした。 知らない子供たちの間でほとんど聞いた事もない言葉を耳にし続けるわけでしたからね。 しかし子供の脳とは恐ろしいもので、1ヶ月が経つ頃にはうっすらと言葉が聞き取れるようになっていました。 3ヶ月も経てば友人たちに混じって遊びまわるほどです。 好き嫌いの激しい舌だったので給食の時間は憂鬱でしたが、同じ年頃の友達と遊びまわるのは楽しかったです。
ゴン太、ブラジル人学校に入る
幾年か経つと小学校に入る歳になりました。 親は出稼ぎに来た日系人であったため、ゴン太は日本の小学校ではなくブラジル人学校に通うことになりました。 日本の小学校についてはよく知りませんが、ブラジル人学校はとても愉快な場所でだったと記憶しています。 規則はユルユル、時間もルーズ、先生方は個性の強い人ばかりで退屈することは一度もありませんでした。 そのユルさたるや、休憩時間終了の鐘を鳴らし忘れてそのまま帰宅時間まで休みになった日もあったほどです。
当時のブラジルの教育制度は日本のそれとは異なり、初等教育と中等教育の前期がほとんど一緒になっていました。 日本でブラジル人学校というと8年生まであるという認識でした。 要するに、日本の中学2年生の年でブラジルの義務教育は終了だったのです。
ゴン太、進路に悩む
この頃になると親も日本で生きるという可能性についても考え始めていました。 ゴン太もこの頃から日本の学校への進学を意識し始めていました。 ですので、永住権を取得したのもこの頃です。
親が日本に永住を決めるとゴン太はすぐに近くの中学校に編入できないかと問い合わせました。 簡単な面接で日本語能力を確かめると、中学校の校長先生は快く編入を認めてくれました。 校長先生、教頭先生には今でも感謝していますが、残念ながら家庭の事情で編入は叶いませんでした。
ゴン太、高校への道を模索する
諦めきれなかったゴン太は以前からお世話になっていた日本語教室に相談し、中学校卒業程度認定試験の存在を知りました。 日本語教室の方々に大変ご助力いただきなんとかこれを合格、勢いに乗ってそのまま日本の高校に進学しました。 今でも1年でよく中学校3年分の教科を詰め込めたものだと教えてくださった方々に感心することしきりです。
数学などの理系科目はまだ互換性とでもいうべきものはありましたが文系科目となるともうお手上げでした。 歴史など世界史の部分が少し被るぐらいで日本史などほとんど知識ゼロの状態です。 三國無双をやっていなければ織田信長の名前すら知らなかったでしょう。 地理なども都道府県と県庁所在地には随分と苦労させられました。 日本の国土はこんなにも小さいと言うのに何故49都道府県もあるのだろうか? 何倍も広いブラジルは26州しかないと言うのに… そんな風に廃藩置県を行なった明治政府を憎らしく思ったりもしました。
当然のごとく、国語にはほとほと手を焼きました。 当時から漫画やゲームが大好きで、それらを楽しむために日本語を頑張って習得していましたが古文・漢文などは想像の埒外でした。 なんで現代では使われていない古語を学ばなければならないのかと文部科学省を憎く思った頃もあったぐらいです。 ブラジルの大学だってラテン語は学ばないと言うのに、日本の教育水準の高さには驚かされたものです。
とりあえず今回はここまで
さて、ここからがゴン太が本格的に心を病みはじめる頃の話です。 ですが今回は字数の都合上、続きは明日投稿することにいたしましょう。
ゴン太は人より少し変わった人生を送っている自覚があります。 ここまでで共感してくださった方はいらっしゃったでしょうか? 次回からはもう少し共感しやすい心の病について触れることにいたしましょう。
ブログのこれから
ゴン太の半生についての話が終わったら、今度は統合失調症についての話、その治療についての話など、心の病に悩む人にとって役に立つであろう記事を書いていくつもりです。
他にも運動習慣や食生活の改善、睡眠論についても書いていく予定です。
最後に
長くなりましたが、今回もお付き合いいただきありがとうございます。 よろしければ今後もお付き合いのほどをお願いいたします。
では、また明日。
ゴン太は統合失調症患者である。実名は出さない。
私のブログを開いてくださった皆様、どうも始めまして。
まず始めにいうと、私は精神障害者です。
病名は統合失調症、3年ほど前にそう診断されました。
医者の勧めで精神障害者保健福祉手帳の3級も取得しています。
ネット上ではゴン太と名乗る事にしています。
親しい友人たちにはそう呼ばれていて、私はこのあだ名をなかなか気に入っています。
NHKの『できるかな』の登場キャラクターから取ったのか、浄瑠璃のいがみの権太から取ったのか、はたまたゴンザレス田吾作を略した物なのか。
詳しい由来については知りませんが、とにかく今後はゴン太と名乗らせていただきましょう。
私、ゴン太は20代後半の実質ニートです。
より正確にいうと大学の休学期間があと半年ほど残っている、職についていない精神障害者です。
大学に籍を置いているためまだニートには当てはまりませんが、このまま復学が出来なければ名実ともにニートを名乗る事になりそうです。
ゴン太は統合失調症を患っている精神障害者です。
ですが、治らないからといって諦めるつもりはありません。
できる範囲で回復を目指し、これを受け入れて共に生きる事を決めました。
病は気からという言葉があります。
健全なる精神は健全なる身体に宿るとも言います。
逆に言うと健全な身体を保てば精神疾患も緩和されるのではないだろうかと考えています。
運動をする習慣をつけ始めて今日で21日目。
習慣化の目安としてはいい塩梅でしょう。
詳しい自己紹介をしたいところですが、思い立ったが吉日、大安の今日この記事を投稿する事に意味があると考える次第です。
ですので、今回は目標を述べるだけに留めましょう。
私は復学までに残されたこの半年で健康的な身体を手に入れ、社会復帰を目指します。
このブログは私の恥の多い半生と、そしてこれからの社会復帰までの道を記録するものとしましょう。
ゴン太のブログが一人でも多くの心の病を抱えた人たちの励みとなる事を願います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。