ゴン太の半生(後編)

続きの続き

今回でゴン太の半生についての話は終わらせましょう。 統合失調症の診断を受けてから現在までを話しましょう。

ゴン太と統合失調症

ゴン太が統合失調症の診断を受ける頃には日常生活を送ることも難しくなっていました。 以前から感じていた症状はますます激しくなっていました。 頭痛、腹痛、下痢、嘔吐感は一日中続き、特に呼吸困難は恐ろしく厄介でした。 呼吸はできているのに本当に空気が足りていないかのように感じられ、酸素不足による目眩や失神なども起こしていました。

立っているのも辛くなり、当然バイトなど続けようもありませんでした。 現在通っている医院の先生に診断書を書いてもらいバイト先に提出、なんやかんやあってバイトを辞めることにしました。

お薬を飲み始めて症状は徐々に回復してきましたが、それとは別に親がスピリチュアルな方面に熱心なため、色々な祈祷師や霊媒師などの元へと連れていかれました。 正直なところ、そういった話には辟易していましたが善意からの行為だとは理解していたので断り辛かったのです。

更に今度はバイトを辞めた事で借金で首が回らなくなって行きました。 親友にお金を無心し、短期バイトを探してなんとかやりくり。 自業自得とはいえかなりのストレスを感じていました。 にもかかわらず、もしくはだからこそ、浪費癖がますます悪化して行きました。

リボ払いでも月々の支払いが滞るようになり、とうとう借金の件も露呈。 またしても親を怒らせ、そして深く悲しませました。

ゴン太と手帳

この頃にはゴン太も自分が買い物依存症であることをはっきりと自覚し、なんとか抑えようとはしましたがどうにも歯止めがかかりませんでした。

カードは親に預けてすぐに解約、借金も肩代わりしてもらいました。 かなり深刻な状態にあると判断した医院の先生は、ゴン太に手帳の取得を勧めました。

精神障害者保健福祉手帳

これを取得すれば色々な面で家計を助けられるのではないかと考えたゴン太はこれを取得しようとしました。 親にその話をすると、ゴン太はこう言われました。

“君は精神障害者なんかじゃない” “それは必要な人のためにあって、君には必要のないものだ” “そんなものを持っていたら障害者として後ろ指を刺されるぞ”

正直に言うと、ゴン太は随分前から精神面での病気の理解を親に求めることを諦めていました。 何かがあれば霊に取り憑かれているだの、気合いが足りていないだの、とにかくゴン太の求める理解からは程遠い言葉しかもらえませんでした。

日本語に堪能ではない両親ですが、何回か診察に付き添ってもらって通訳をして先生に説明をしてもらったり、父の友人に通訳を頼んでみたりと手は尽くしました。 それでも親は病気のことを認めるつもりはありませんでした。

今回もどうしようもないのだろうかと考えていると、意外なところから救いの手が差し伸べられました。 妹が擁護してくれたのです。

家族全員で席に着き大いに議論しました。 病気だと認めたくない親と、ただの怠け者ではないと認めて欲しいゴン太と妹。 言葉を尽くして説得すると、なんとか申請の許可は得られました。 しかし病気について理解を得られたとは言い難い状態は変わりませんでした。

金銭面でのメリットを説明してようやく許可が得られたのですから当然です。 それでもなんとか心の病であると公認を得たゴン太はほんの少しホッとしました。 少なくとも親の言うような精神論的な問題ではないと認められたような気がしたからです。

ゴン太とブラジル旅行

その後しばらく経ち、ゴン太たち一家はブラジルへと旅行に行くことにしました。 ゴン太たちは以前から5年に一度くらいの頻度でブラジルに旅行に行っていました。 帰国ではなく旅行です。 ゴン太の母国に対する認識がはっきりとわかりますね。

ブラジルでも祈祷師や霊媒師、知り合いの霊能力者やアフリカ系の呪術師のもとにも通いました。 意外に思うかもしれませんが、ゴン太は霊的な存在を信じていないわけではありません。 信心はあります、ただし信仰心はありません。

ゴン太は霊的な存在を信じていてもそれを頼りにすることには抵抗がありました。 病気は医者で直すのが道理だと考えていたからです。 それは今でも変わってはいません。 医療が根本にあって、その精神的な補助としてそういったものを頼ると言うのがゴン太のスタンスです。

ゴン太とメンタルヘルス

とにかくゴン太はブラジルで精神科医を探すことにしました。 日本語がわからない両親は医者が騙そうとしているように感じていると知っていたので、ポルトガル語を話す医者に頼れば納得してもらえるのではないだろうかと考えたからです。

じつはこれにも大変難儀しました。 なにせ親がその話をするのを許してくれなかったからです。 親しい親族にも精神的な問題を抱えている人がいて、その人に医師を紹介してもらおうとしましたが親はなかなか頭を縦に振りませんでした。

どうにかして親を説得し、伯母にだけは打ち明けることを許してくれました。 日本で感じていたこと、親について思うこと、病気についてどう向き合うかなど、とにかく伯母には全てを話しました。

すると伯母はゴン太にある医師を紹介してくれました。 伯母の主治医にあたる先生で、紹介された人しか診ないという先生だと言う話でした。 とにかくポルトガル語を話せる医師なら誰でもいいと思っていたゴン太はその話に飛びつきました。

そしてそれがゴン太の人生の分岐点となったのです。

ゴン太と親の和解

この先生との出会いが回復への手掛かりとなったことは間違いありません。 日本の先生が大変な努力をしてゴン太の精神を持ち直させたのは確かですが、心の病に胡座をかこうとしていたゴン太を立ち直らせたのは間違いなくこの先生です。

先生は精神分析が専門で、カウンセリングのみを行う医師でした。 薬については友人の精神内科医と連携して役割分担を行なっているそうです。

もう何度目になるかも分からない症状についての説明をし、お薬の説明書などを訳して見せて。 そうして先生に判断を仰ぎました。 先生は話を聞いて統合失調症の疑いが強いと考え、同席していた両親にこれを根気強く説明してもらいました。

そうして統合失調症の診断から2年あまりが経ち、ようやく親に心の病について理解してもらうことができたのです。

ゴン太とメンター

ゴン太はこの先生のことをメンターと呼んでいます。 日本語で言うと指導者、助言者、恩師などと言う意味ですね。

とにかくこの先生は頭の回転が早く知識も豊富でした。 さすがは精神分析の専門家ということもあり、ゴン太が言いたい事はなんでも素早く理解してもらえました。 コミュ障で、なおかつ吃音症のゴン太にとってこれほど心強いものはありませんでした。

先生の診察費は高かったですが、例の伯母が裕福で甥のためならと費用を負担してくれました。 伯母には足を向けて眠れません。 とにかく週に一度のペースで先生の元へと通い、ゴン太の症状はどんどんと良くなって行きました。 精神分析の結果、子供の頃の記憶が現在の症状と関連していると考えた先生は、具体的な症状への対処法を考えてくれました。

その方法などについてはのちの記事で書くことにしますが、とにかくそれは良く効きました。 ブラジルの風土も肌に合ったのか、ゴン太は以前からは考えられないほどに回復して行きました。

ゴン太の帰国

そうこうしているうちに日本に帰る時期がきました。 身内の不幸などもあり2回も延期しましたが、5ヶ月程度の滞在の後日本へと帰りました。

ブラジルから帰った後もしばらくの間は元気で復学も視野に入れていたのですが、残念ながらまた気分が落ち込んで行きました。

ゴン太の統合失調症は躁鬱のようなものも含まれていて、ひたすら元気な時ととにかく落ち込んでいる時期が波のように繰り返されていました。

ブラジルから帰国後は以前のアルバイトにも復帰したのですが、残念ながら健康上の問題でまたやめることになってしまいました。 ここでも一悶着あるのですがこれもまた今度にしましょう。

ゴン太と苦痛の再来

この頃になるとまた以前の症状が激しくなり始め、寝たきりの状態が続きました。 親からの理解が得られたとはいえ、やはりまだ認識の相違があることは否めませんでした。

もっと頑張れという精神論的な励まし方をする親にイライラし、自分でも感情を抑えきれなくなったゴン太は自主入院を考え始めました。 親に相談したところこれに猛反発。 精神病棟には一度は行ったが最後、薬漬けになって二度と出られないという認識を持っていた親がそうなっても仕方がありませんでした。

日本の先生の説明もありなんとか誤解だけは解けましたが、もう少し経過を見るという方向で話が固まりました。

ゴン太のそれから

この頃、つまり最近ですが、大学を休学して3年半が経ちました。 休学期間の限界は4年。 退学が目の前に迫って、ゴン太の中の何かに火がつきました。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

この言葉を思い出したゴン太はとにかく身体を動かすことにしました。 まずは行動して、そのあと考える。

引っ込み思案のゴン太にはあり得ないはずの発想でしたが、ブラジルで様々なことを学んだゴン太はとにかく行動することの大切さを知っていました。

とにかく毎日の運動と食事が健康を作る。 それを信じてゴン太は今、肉体改造に励んでいます。 毎朝6時に起きてラジヲ体操を行う。 バターコーヒーを飲んで身だしなみを整え、1時間かけて6kmと少しのウォーキング。 家に帰ればヨガを行い、2日に一回は筋トレ。 記録を取り、日記を書いて習慣化を目指しました。 夜の6時までに夕食を済ませ、入浴と読書。 夜の8時を過ぎれば目の疲れる行為は極力控え、瞑想を行なって眠りにつく。

ニートだからこそできる生活ですが、この時期を最大限に活かして半年後の復学に備えるのがゴン太の目標です。

実はこの記事を書いている時点でこの生活習慣を取り入れて24日が経っています。 習慣化までの目処となる21日はもう過ぎました。 あとはどうやってこれを維持していくかです。

ゴン太のこれから

ゴン太は恥の多い人生を送ってきました。 悔やむことも数えきれないほどあります。 ですが、もう嘆くだけの状態には戻りません。

未来は誰にもわかりません。 過去は変えられませんが認識は変えられます。 そして現在は積み重ねていけます。

ゴン太はもう停滞した日々には戻りたくありません。 これからは前を向いて歩いていくために努力は惜しみません。

最後に

このブログにはゴン太の社会復帰までの過程を描いていく予定です。 どうかこのブログが誰かの目に留まり、そして誰かの励みになることを切に願います。

もし読んでいる方がいらっしゃれば、これからもよろしくお願いします。