ゴン太の半生(前編)
今日は少しゴン太の半生についての話をしましょう。 随分と恥の多い半生です。 人に話す事も恥ずかしいものですが、これを話さないことには統合失調症についての話もできません。 覚悟を決めて話す事といたしましょう。
忙しい人のためのゴン太の半生
- ブラジルで生まれる
- 出稼ぎの親に付いて渡日する
- 保育園で日本語を学ぶ
- 中学2年生相当までブラジル人学校で過ごす
- 高校浪人、中学校卒業程度認定試験取得へ
- 灰色の高校生活
- 浪人、そして予備校の無断欠席
- 大学入学を果たすも親に隠れて欠席を繰り返す
- 勝手に欠席していたことがバレる
- 大学休学を開始
- 精神内科の受診について一悶着
- 統合失調症の診断を受ける
- 2年かけて両親から病気についての理解を得る
- 精神障害者保健福祉手帳を取得
- 休学期間残り半年、焦るゴン太 ←今ココ
忙しくない人のためのゴン太の半生
ゴン太の半生について語りたいところですが、長くなりそうなので分割することといたしましょう。 ブログが軌道に乗るまで100記事が必要となるらしいので、記事数の水増しにもなるでしょうし… 何はともあれ、ゴン太の生まれについてお話ししましょう。
ゴン太、誕生
ゴン太がどこで生まれたかというとブラジルのサンパウロ市、そこの東洋人街のすぐそばです。 ゴン太は祖父母の代にブラジルに渡り、そこで生活を始めた日系人の4世に当たります。 少年時代に取得した永住権を経て、最近は日本に帰化しました。 今やゴン太は元ブラジル人の現日本人という事です。
ゴン太、渡日
3歳まではブラジルで生活していました。 両方の祖父母が近くに住んでいたため、とても可愛がってもらったことはよく覚えています。 祖父たちは孫のゴン太にダダ甘で、家に来るたびに何かしらのお菓子を持って来ていました。 おかげで、今でも懐かしい味といえばブラジルの甘ったるい駄菓子の類です。
ゴン太、日本語を学ぶ
日本に来てすぐは日本語などという言語にはほとんど触れたことがなかったため、最初の頃は保育園に行くのが嫌で仕方がありませんでした。 知らない子供たちの間でほとんど聞いた事もない言葉を耳にし続けるわけでしたからね。 しかし子供の脳とは恐ろしいもので、1ヶ月が経つ頃にはうっすらと言葉が聞き取れるようになっていました。 3ヶ月も経てば友人たちに混じって遊びまわるほどです。 好き嫌いの激しい舌だったので給食の時間は憂鬱でしたが、同じ年頃の友達と遊びまわるのは楽しかったです。
ゴン太、ブラジル人学校に入る
幾年か経つと小学校に入る歳になりました。 親は出稼ぎに来た日系人であったため、ゴン太は日本の小学校ではなくブラジル人学校に通うことになりました。 日本の小学校についてはよく知りませんが、ブラジル人学校はとても愉快な場所でだったと記憶しています。 規則はユルユル、時間もルーズ、先生方は個性の強い人ばかりで退屈することは一度もありませんでした。 そのユルさたるや、休憩時間終了の鐘を鳴らし忘れてそのまま帰宅時間まで休みになった日もあったほどです。
当時のブラジルの教育制度は日本のそれとは異なり、初等教育と中等教育の前期がほとんど一緒になっていました。 日本でブラジル人学校というと8年生まであるという認識でした。 要するに、日本の中学2年生の年でブラジルの義務教育は終了だったのです。
ゴン太、進路に悩む
この頃になると親も日本で生きるという可能性についても考え始めていました。 ゴン太もこの頃から日本の学校への進学を意識し始めていました。 ですので、永住権を取得したのもこの頃です。
親が日本に永住を決めるとゴン太はすぐに近くの中学校に編入できないかと問い合わせました。 簡単な面接で日本語能力を確かめると、中学校の校長先生は快く編入を認めてくれました。 校長先生、教頭先生には今でも感謝していますが、残念ながら家庭の事情で編入は叶いませんでした。
ゴン太、高校への道を模索する
諦めきれなかったゴン太は以前からお世話になっていた日本語教室に相談し、中学校卒業程度認定試験の存在を知りました。 日本語教室の方々に大変ご助力いただきなんとかこれを合格、勢いに乗ってそのまま日本の高校に進学しました。 今でも1年でよく中学校3年分の教科を詰め込めたものだと教えてくださった方々に感心することしきりです。
数学などの理系科目はまだ互換性とでもいうべきものはありましたが文系科目となるともうお手上げでした。 歴史など世界史の部分が少し被るぐらいで日本史などほとんど知識ゼロの状態です。 三國無双をやっていなければ織田信長の名前すら知らなかったでしょう。 地理なども都道府県と県庁所在地には随分と苦労させられました。 日本の国土はこんなにも小さいと言うのに何故49都道府県もあるのだろうか? 何倍も広いブラジルは26州しかないと言うのに… そんな風に廃藩置県を行なった明治政府を憎らしく思ったりもしました。
当然のごとく、国語にはほとほと手を焼きました。 当時から漫画やゲームが大好きで、それらを楽しむために日本語を頑張って習得していましたが古文・漢文などは想像の埒外でした。 なんで現代では使われていない古語を学ばなければならないのかと文部科学省を憎く思った頃もあったぐらいです。 ブラジルの大学だってラテン語は学ばないと言うのに、日本の教育水準の高さには驚かされたものです。
とりあえず今回はここまで
さて、ここからがゴン太が本格的に心を病みはじめる頃の話です。 ですが今回は字数の都合上、続きは明日投稿することにいたしましょう。
ゴン太は人より少し変わった人生を送っている自覚があります。 ここまでで共感してくださった方はいらっしゃったでしょうか? 次回からはもう少し共感しやすい心の病について触れることにいたしましょう。
ブログのこれから
ゴン太の半生についての話が終わったら、今度は統合失調症についての話、その治療についての話など、心の病に悩む人にとって役に立つであろう記事を書いていくつもりです。
他にも運動習慣や食生活の改善、睡眠論についても書いていく予定です。
最後に
長くなりましたが、今回もお付き合いいただきありがとうございます。 よろしければ今後もお付き合いのほどをお願いいたします。
では、また明日。